(愛州)陰流 |
剣士名 | 流派 | 経歴・立場・所有物・技名 |
読み方 | 生没年 |
愛州移香斎久忠 あいすいこうさい ひさただ | (愛州)陰流 創始者 | 兵法三大源流の一つ。子は小七郎宗通。
技:猿の太刀、猿飛、猿回、虎竜、山陰 |
愛州小七郎宗通 | 猿飛陰流 | 愛州移香斎の子。流名を猿飛陰流と改めた。 |
上泉伊勢守信綱
かみいずみいせのかみ のぶつな | 新陰流 創始者 1508〜1577 | 愛州移香斎の弟子。剣聖とまで言われし人物。ここから実に数多 くの流派が生まれた。 武田信玄からの仕官の誘いを断って兵法の完成のため人生を費 やした。 構えを無くして(?)攻めと守りを一体とした「無行の位」を目指した
丸目蔵人佐長恵と柳生宗厳の二人だけに裏太刀(忍術のこと)を 伝授したとのこと。 |
疋田豊五郎
ひきたぶんごろう | 疋田陰流 創始者 | 上泉伊勢守信綱の弟子。柳生石舟斎宗厳を破った。この結果、 柳生石舟斎宗厳は上泉伊勢守の弟子となった。 |
丸目蔵人佐長恵
まるめくらんどのすけ
ながよし | 新陰タイ捨流 創始者 1540〜1629 | 上泉伊勢守信綱の弟子。流派のまたの名を丸目二刀流。 清水寺などで「天下一」の立て札を立てて真剣勝負を挑んだが、 誰一人かなうものはいなかったそうです。 上泉信綱から「裏太刀(忍術のこと)」を伝授された。 |
宝蔵院覚禅坊胤栄 ほうぞういんかくぜんぼう いんえい | 宝蔵院流(槍) 創始者 | 上泉伊勢守信綱の弟子。高田又兵衛(高田流(剣)創始者)、可 児才蔵らがでてきた。 |
奥山休賀斎公重 おくやまきゅうがさい きみしげ | 神陰流(=奥山流) 創始者 | 上泉伊勢守信綱の弟子。奥山玄信斎がでてきた。徳川家康も手ほどきを受けた。 技:夢想の太刀 |
奥山玄信斎
おくやまげんしんさい | 真新陰流 創始者 | ここから針谷夕雲(無住心剣術創始者)、神谷伝心斎(直心流(直心陰流の源流)がでてきた。 |
針谷夕雲 はりがやせきうん | 無住心剣術 創始者 | 弟子に小田切一雲がいる。 刀:刃引きの二尺五寸の重い刀。 技:奥義「相抜け」 |
神谷伝心斎 かみやでんしんさい | 直心流 創始者 | 直心陰流の源流。 |
柳生石舟斎宗厳
やぎゅうせきしゅうさい
むねよし | 柳生新陰流 創始者 1529〜1606 | 上泉伊勢守信綱の弟子。ここから柳生兵庫助利厳、柳生宗矩がでてきた。上泉信綱から「裏太刀(忍術のこと)」を伝授された。 上泉信綱に与えられた「無刀取り」の公案を完成、徳川家康の前で披露した。これにより柳生家が将軍家剣術指南役となるきっかけをつくった。 技:無刀取り、逆風、村雲、浦波、花車、明身 |
柳生兵庫助利厳
(如雲斎)
やぎゅうひょうごのかみ
としよし | 尾張柳生新陰流 創始者 1579〜1650 | 柳生石舟斎宗厳に唯受一人の印可を受け、家伝の出雲永則の太刀を授けられた。尾張徳川家の剣術指南役になった。 子に連也斎厳包がいる。 「直立ったる身の位」と「上段の構え」の創案者 刀:伊勢千子村正 技:無刀取り |
柳生連也斎厳包 やぎゅうれんやさい よしかね | 尾張柳生 新陰流 1625〜1694 | 父は柳生兵庫助利厳。
尾張柳生の「心の兵法」の完成者といわれています。 |
柳生但馬守宗矩
やぎゅうたじまのかみ
むねのり | 柳生新陰流 1571〜1646 | 柳生石舟斎宗厳の子。将軍家剣術指南になった。 長男に十兵衛三厳がおり、弟子に荒木又右衛門保知がいる。兵法者で大名になった人物。 徳川家光をして「天下統御の道は、宗矩に学びたり」と言わしめた 刀:三条宗近 |
柳生十兵衛三厳
やぎゅうじゅうべえ みつよし | 柳生新陰流 1579〜1650 | 隻眼として知られているが、実は両方見えたらしく、彼の肖像画には両目がある。隠密説等もある人物だが、その時期は柳生の里で兵法研究「月の抄(兵法書)」に費やしていたとか。 刀:美濃兼氏 |
荒木又右衛門保知
あらきまたえもん やすとも | 柳生新陰流 1599〜1638 | 本名は服部丑ノ助。柳生十兵衛に剣を学んだ。鍵屋の辻の仇討ちで36人斬りをしたとのことで有名だが、実際は相手の主力と目される2人斬っただけとか。 刀:伊賀守金道 |