徐晃伝

(これはKOEIの歴史シミュレーションゲーム三国志7PKで
武将の「徐晃」を使ってのプレイリポートです。)
(以下は徐晃の立場での記述です)

←わしの主、曹操様
194年(飛将中原に舞い天下騒乱す)がこの伝の始まりでござる。
ちなみにわし徐晃は曹操様の配下になりましてござりまする。

<第一部、真の主>
169年徐晃(字 公明)誕生
194年10月長安にあって、李カク配下の武将である。

時代は、後漢末期。皇帝も力を失い、世は争いや病などがはびこる混沌とし
ていた。そのような時代になれば、当然のごとく天下を我が物にせんとたくら
むものが出てくる。その一人である董卓は、機に乗じて都である洛陽、そして
次に都となった長安を占領し、幼き皇帝を利用して横暴の限りを尽くしたが、
その天下も長く続かず、養子である呂布に殺された。
次に後漢王朝の実権を握ると思われた、その呂布も、董卓配下であった李カ
クらにより、長安を手中に収めることが出来ず長安を去った。そんな天下を我
が物にせんと各地に群雄がひしめきあっていた頃である。
195年 1月李カクへの忠勤に対し、恩賞を受ける
李カク「5年か。徐晃、お前も長くいるのぉ。まぁ、これでもとっておけ」
徐晃 「・・・。ありがたき幸せ。して、殿、そろそろ攻め込みませぬか?」
李カク「戦争好きよのぉ、その方。なぜこの生活を楽しまぬ?
徐晃 「いえ、決して楽しんでいないわけでは・・・。」
李カク「まぁ、よい、では安定へ行け!西涼の馬騰の討伐じゃ」
ようやく戦働きが出来そうに思えた徐晃は、すぐに長安から安定へ手勢をつ
れて移動した。
(活躍の場が無ければ、どうしようもなかったが、これで思う存分戦えようぞ)
195年 2月その翌月、李カクからの使者が来た。
使者「我らが主君、李カク様より、徐晃将軍を安西将軍に任命するように仰せ
があった」
徐晃「ありがたき幸せ!。このご恩、戦働きによりお返しいたす!」
徐晃の台詞を聞いてか聞かずか、使者は賄賂を露骨に要求した。
徐晃はそれを無視したが、主君の身を案じた家来の一人が、密かに使者に
付け届けをしていた。
195年 5月厳白虎の勢力、大陸から姿を消す。
(なんと、あっという間に一つの群雄が・・・)
195年11月漢中を攻めるが、張魯が漢中を放棄し、戦わずして占領する。
李カク「ふん、我らの力の前には誰も逆らえぬのぉ(人の悪い笑いをする)
徐晃 「戦での活躍をお見せできず、拙者は少々残念でござるな」
李カク「ふん、その方らは、さっさと西涼を落とせ!」
(安定の兵は2万足らず、敵は騎馬隊が多く、兵も倍はいよう、どうしろという
のだ?)
196年 1月その翌月、李カクからの使者が来た。
使者「我らが主君、李カク様より、徐晃将軍の功績を認め、四品官に任命す
るように仰せがあった」
徐晃「ありがたき幸せ!。このご恩、戦働きによりお返しいたす!」
そして、前回と同じく、徐晃の台詞を聞いてか聞かずか、使者は賄賂を露骨
に要求した。
徐晃はそれを無視したが、主君の身を案じた家来の一人が、密かに使者に
付け届けをした。しかし、徐晃は今度はそのことに気付き、以後しないように
注意をした。

そして、その月のうちに、李カク軍が武都を占領した。それにより、張魯の勢
力が大陸から姿を消した。
196年 2月徐晃は安定から天水へ移動した。
(いよいよ、馬騰攻めができるな。あとは、太守の命令を待つだけだが、敵は
大軍、策無くては勝てぬな。)

李カクより安東将軍に任命される
使者「我らが主君、李カク様より、徐晃将軍を安東将軍に任命するように仰せ
があった」
徐晃「ありがたき幸せ!。このご恩、戦働きによりお返しいたす!」(最早パタ
ーン化された台詞である)

そして、毎回のように、徐晃の台詞を聞いてか聞かずか、使者は賄賂を露骨
に要求した。しかし、3度目となると、さすがの徐晃も黙ってはいなかった。
徐晃「貴様、いい加減にしろ。賄賂を求めぬと生活もままならぬほど、惨めな
生活しかしておらぬのか?」
使者「・・・!後悔めさるな。」
徐晃「後悔なぞするものか。貴様、戦働きより、ゆすりたかりの方が得意と見
える」
使者「・・・わしの力を知らぬ愚か者め。覚えておれよ!」
徐晃「何も出来ぬくせに、口先だけは一人前だな。さっさとここより消えて、金
の勘定でもしておるがよいわ」
使者は舌打ちして立ち去った。
196年4月李カクより安南将軍に降格される。
使者「我らが主君、李カク様より、徐晃将軍を安南将軍に降格するように仰せ
があった」
徐晃「!。何故でござろう?」
使者「知りませぬなぁ。」
(こやつ・・・)
使者「まぁ、今後もご注意あれ。(いやらしく笑う)」
196年 5月太守「その方の動かせる兵を減らす。そのほうが動かせる兵は1000とする。」
徐晃「どういうことにござろう・・・?。」
太守「徐晃、世の中をもう少し知ることだな。」
徐晃「くっ・・・太守にまで」

その夜、徐晃のところに賈ク文和軍師が訪ねてきた。
徐晃「軍師、この夜更けにどうなされた?」
賈ク「徐晃殿、今日の一件聞きました。」
徐晃「・・・」
賈ク「私は李カクから離れようと思っております。」
徐晃「!。」
賈ク「私は、天下の主に相応しい大志を持った人物に仕えたい。」
徐晃「(わしを試しておられるのか?。うかつに返事をするわけには・・・。)」
・・・。
賈ク「私がさぐりをいれに来たと思っておられるようですな。」
徐晃「いえ、そのようなことは・・・。」
賈ク「これを・・・。」
そう言って、賈ク軍師は書簡を取り出した。
徐晃「・・・!これは・・・。」
賈ク「そうです。曹操からの引き抜きの手紙です。」
徐晃「曹操・・・。話には聞いているが・・・。」
賈ク「私は、天下をとるに相応しい能力を持った人物と見ております」
徐晃「すぐにでもそこに行かれるおつもりか・・・」
賈ク「いえ・・・、曹操はいずれ長安にも攻めてくるでしょう。その時、私は仲間
と共に兵を挙げて内部から呼応しようと考えています。」
徐晃「・・・なぜすぐに行かれぬのか?」
賈ク「私はまだ十分な手土産を用意しておりません。曹操はまだ十分な大義
を持っておりません。曹操が来た時、献帝を李カクの手から曹操の手に引渡
し、曹操に天下を統一するに十分な大義を持たせ、手土産にしようと思ってお
ります。」
徐晃「・・・(さすが賈ク軍師・・・。)。しかし、それをなぜわたしに?」
賈ク「あなたも既に自覚しておられるでしょう。貴方の立場は、非常に危ないと
ころにある。この国にはもはや貴方の居場所はなくなってしまっている・・・。
徐晃「・・・確かにそうやもしれませぬ
賈ク「そして、あなたも大義と大志を持った人物のもとで働きたいと思っておら
れる・・・。だからです。」
徐晃「・・・。」
賈ク「フッ・・・。では、私はこれにて・・・。」
196年 6月徐晃は野に下った。

徐晃「さて、どこに行くかな・・・。」
愛用の大斧を肩に担ぎ、愛馬にまたがって徐晃は呟いた。
誰も見送りにこない旅立ちであったが、徐晃の心は晴れ晴れとしていた。




<第二部、剣の主>
196年 7月徐晃は天水から漢中に移動した。
196年 8月漢中から宛に移動しようとしたが、その途中に事件があった。
??「た・・・。た・・・け・・・」
徐晃「・・・?何か聞こえたような・・・」
肩に大斧を担いだ徐晃は、足を止めた。
民 「た・・・。たす・・・け・・・助けてくれぇ!」
振り返ると、人が一人こちらに走ってきた。
徐晃「どうしたのだ?」
民 「ゼイ・ゼイ・・・。と・・・虎だ!」
それを聞いた瞬間、反射的に大斧を構えた。
徐晃「どこにいる?」
民 「あ・・・あっちだ。」
民が指をさす方向を見た。虎は見えないが、岩の陰で何か動いたような気が
する。
民 「俺の仲間はあいつにやられちまった・・・。」
徐晃はそれに答えず、襲い掛かってくるであろう虎の気配を探った。
・・・。
徐晃「・・・。来ないな・・・」
・・・。ジャ・・・。
ビュン!
わずかな音がした次の瞬間、徐晃の大斧が一閃した。
ドサッ・・・。
首が地面に落ち、首と泣き分かれになった胴体には剣が握られていた。
徐晃「やはりか・・・。」
彼はこのあたりに棲む盗賊であったのだ。仲間と連携し、隙を見て旅人を殺
害して金品を奪っていたのだろう。繰り返し使われたであろうその剣は血で曇
っていた。
徐晃はすぐにその場を立ち去った。彼の仲間がどれだけいるかわからないか
らである。
196年 9月徐晃は宛で旅の疲れを癒し、愛用の大斧の手入れをした。
磨かれた大斧は、活躍の場所を待つように、静かに光を放っていた。
196年10月徐晃は宛から洛陽に移動した。董卓により焼き払われた王都には、建物はほ
とんど見えず、少しずつ戻ってきた人と、未だ片付けられぬ死体があるだけだ
った。
196年11月民 「ギャーッ!!」
民の悲鳴が聞こえる。数日に一度はこのようなことが必ずある。
それは盗賊の襲撃である。治安が悪いどころか、この洛陽では無いという表
現こそが相応しい状態であるのだ。
徐晃はその度に盗賊達を追うのだが、洛陽は広く、声の場所を探している間
に、大抵は姿を消してしまうのである。
徐晃「くっ・・・。またか・・・。」
どうしようもない無力感に襲われながら、徐晃はねぐらに戻った。
(このような事を許さない人物、世の混乱を収めることができる人物は本当に
いるのだろうか・・・)
196年12月先月同様、徐晃は自分の武を鍛えながら、盗賊の襲撃を可能な限り防ぎなが
ら、そのねぐらを探った。
197年 1月新年になっても、盗賊の襲来は止むことは無かったが、この月の終わりに、
曹操配下の猛将夏侯惇が兵を連れて洛陽に入ってきた。

夏侯惇「まずは、町のあちこちに見張り台を設けよ。そして、お前達は城壁の
補修にかかれ。次に、お前達は民を盗賊どもから守れるように、ある程度居
場所を固めさせるのだ。最後にお前達は、町に散乱している死体を片付け
よ。丁重に葬ってやれ」
夏侯惇は、洛陽に着くとすぐさま兵士に命令を出した。
徐晃「ほう・・・。」
徐晃は、感心しつつもしばらくは様子を見ることにした。かつての都洛陽とは
いえ、曹操軍が人もほとんどいないようなこの場所に来る理由を見出せなか
ったからである。
197年2月少しずつであるが民が増えてきたようである。
やはり、かつての故郷に戻りたいという人が多いのだろうか・・・。
197年 3月盗賊「殺せ!奪えェ!!」
しばらくは音沙汰の無かった盗賊たちが急遽襲来した。
徐晃は、慌てて盗賊たちが襲来した場所へ向かった。

しかし、外敵に対する夏侯惇の備えは万全であった。
夏侯惇の命が下るや否や、盗賊たちを軍隊が囲んだのである。
盗賊首領「ちぃっ。はめられたかぁ!」
夏侯惇「最早、お前達に生きるすべは無い。かかれ!!」
さすがは、正規軍であった。曹操軍はあっという間に盗賊達を倒していった。
盗賊首領「う・・・キサマァ!!」
盗賊の首領は、破れかぶれになり、叫びながら刀を大きく振りかぶって夏侯
惇の方に突っ込んだ。

そして、馬が交差したと思われた次の瞬間、首領は頭から胸の辺りまで斬ら
れていた。
徐晃「なんという腕よ・・・」
徐晃は素直に夏侯惇の腕前を評価した。思わずその言葉が口から出てしまう
ほどだったのだ。
盗賊団は、その夜のうちに壊滅し、それ以降洛陽を盗賊団が襲うことはなくな
った。

翌朝、徐晃は昨夜の出来事に対する評価と現在の洛陽の状況、そして自分
のことについて、夏侯惇に手紙を書いた。
それ以降、徐晃と夏侯惇の手紙のやり取りが始まった。
197年 4月劉ヨウ、呉にて病死する。許劭、劉ヨウの跡を継ぐ。
 陳留にて荀ケに見出され、曹操に登用される。

 この月の初めに、夏侯惇を訪問したところ、陳留から来ていた曹操軍の軍
師を勤める荀ケに引き合わされたのである。
 それ以降、徐晃と荀ケの付き合いが始まり、曹操の病気(武将欲しい病)の
発病と同時に、徐晃は荀ケにより推挙されたのである。

曹操「お主が徐晃か。夏侯惇や荀ケから話は聞いている。文武両道に優れた
武将とのことであるな」
徐晃「とんでもございませぬ。」
曹操「何を言う。武にかけては、夏侯惇と引き分けたそうではないか」
(実は、夏侯惇を訪問した際に何度か試合をしたことがあったのである。いず
れも激戦の末引き分けたのであった)
曹操「軍師もお主の状況分析力、先を読む力について誉めておったぞ」
(どうやら、少々過大に話されてしまったなと徐晃は思ったのであるが、実際、
荀ケはそのように(もしくは優れた武将になる素質有りと)見たのである。)
そして、曹操は照れて声も出なくなった徐晃の表情を見ながら
曹操「お主のような武将がわしについてくれれば、最早怖いもの無しである
な・・・。・・・どうじゃ、わしと来てくれぬか?」
徐晃はもとからそのつもりであったのに、こうまで言われてはどうして辞退する
ことが出来ようか。
徐晃「喜んで!我が力のあらん限り、貴方様と共に戦いましょうぞ!」
曹操「ははは。やっとそのような武将らしい声が聞けたな。」
曹操・荀ケ、そして徐晃は笑いあった。

こうして徐晃は自分という剣の主となった曹操の配下に加わったのであった。




<第三部、兵法書>
197年 5月曹操配下になってから、仕事と修行に励みつつも同僚とのつながりを大切に
した。いざというとき、自分一人では何も出来ぬからである。

陳留から宛へ移動する。
曹操の膝元から飛ばされたように見えないこともないが、実はここは李カク、
そして荊州の劉表に対する備えとして重要な場所であるのだ。
197年 7月公孫度の勢力、大陸から姿を消す。

徐晃は、6月・7月かけて宛を巡察していた。民との交わりを深めることもある
が、戦争になった際に重要な場所を自分の目で見ておきたかったからである
197年 8月曹操より裨将軍・四品官に任命される。

徐晃「活躍もせぬのに、恐縮でござります」
使者「何を言われる。貴公が宛の民の信望を得ており任務の効率がいいこと
を太守も誉めておりましたぞ。」
徐晃「とは申しますとも・・・」
使者「・・・では、こう考えてはいかがでござろう?この場所は他国に接してお
り、洛陽や許昌を守るのに重要な場所でござる。」
(徐晃は相槌を打つ)
使者「敵も大軍で襲ってくるでしょう。そうなれば、やはり兵を多く持たねば戦
おうにも戦えますまい。そのためであると・・・。」
徐晃「なるほど・・・。では、ありがたく頂戴致しまして、より励みまする。」
そして、徐晃は、来る日も来る日も軍事調練と、自らの武力を鍛えた。
197年 9月より実戦を想定した軍事調練に励んだ。
197年10月9月10月と調練に励んだ結果、兵士の練度はみるみる上昇し、いつ戦に出て
も問題無いくらいとなった。
197年12月張燕の勢力、大陸から姿を消す

そんなある日、荀ケが訪問してきた。
荀ケ「徐晃殿、これを読まれたことはありますか?」
徐晃は荀ケに渡された書の名を見た。
徐晃「これは、呉子の兵法書(※)ではありますまいか。」
(※エディットアイテムである。知力+5、鬼謀の特殊能力が得られる)
荀ケ「そうです。」
徐晃「これは珍しい。読んでも構いませぬか?
荀ケ「もちろんです。これは、殿が徐晃殿に贈られたものです。」
徐晃「殿が?わたしに?」
荀ケ「はい。・・・以前と違い、徐晃殿は最近武力の鍛錬にのみ力をいれてお
いでです。しかし、ご存知の通り、戦は何がおきるかわかりません。特に兵を
乱されるようなことは避けねばなりませぬし、急ぎ行動せねばならぬときに、
動けなくなるわけにはいきませぬ。」
徐晃「まこと、その通りにございますな。では、これを読み、さらに知力の鍛錬
にも励みます。殿にそのようにお伝えください。」
荀ケ「(にっこりとして)わかりました。」
徐晃「ところで、今夜は泊まっていかれませぬか。ご教授願いたいこともあり
ますし、近況を語り明かしましょうぞ。」
198年 1月新年の年賀拝礼の儀式が、各地の城で行われた。
徐晃も儀式に出て、自宅に戻ろうとしたとき、道に高札が建てられ、ちょっとし
た人だかりが出来ていた。
民 「何と書いてあるんだ?だ・・誰かわかるか?」
民 「わからねぇ。誰か読めるやつはいねぇのか?」
徐晃「わしが読んでやろう。」
民 「あ・・・あなたは徐晃様。」
人材を求めていると書かれていた高札であった。腕に自信のあるもの、頭脳
に自身のあるもの、とにかく一芸に秀でているものは取り立てようというもの
であった。
徐晃がそれを丁寧に民に教えたところ、民からいたく感謝されたようであっ
た。
198年 5月徐晃はこの4ヶ月、曹操や皆の期待に答えるためにひたすら、武力と知力の
修行に明け暮れた。
198年 6月濮陽を本拠地とする呂布軍がギョウに攻め込んだ。
ギョウは呂布の手に陥落した。袁紹軍の太守は、呂布に首を刎ねられたよう
である。
これで、曹操軍の本拠地である陳留は、二方向からの攻撃を受けることにな
ってしまった。
198年 8月呂布軍に不穏な動きがあるようである。どうやら、いや、やはりと言うべきか、
汝南などに展開している我が軍の隙をついて、陳留を攻撃しようとしているよ
うである。
徐晃は修行に明け暮れていたが、やもたてもたまらず曹操に手紙を出した。
198年 9月曹操、陳留を呂布軍に占領される。
この報は、この月になってすぐに届いた。

呂布軍の電工石火の攻撃の前に、陳留の諸城は次々と陥落し、曹操様も城
から出たところを内通者(城内の商人らしい)に締め出されてしまったのだ。
その混乱の中に、呂布軍の、いや呂布の猛攻が来たのだ。あっという間に万
を超える兵を失って、曹操様もあわやというところを、荀ケ殿の計略のおかげ
で、なんとか許昌に辿り着くことが出来たようだ。
198年10月晋陽を本拠とする張楊、呂布によって処刑される。
張燕、張楊の跡を継ぐ

呂布は以前占領したギョウの地から、晋陽を攻撃した。洛陽は広く、一朝一
夕では落ちないと判断したからであろう。
198年11月王朗の勢力、大陸から姿を消す

功績が認められ、三品官に任命される
宛の太守に夏侯淵が派遣されてきた。
198年12月孔融の勢力、大陸から姿を消す
袁紹も着々と勢力を広げているようだ。この袁紹と呂布が手を組めば、厄介
なことになってしまう。

曹操より威東将軍に任命される

徐晃 「太守、ここまで厚遇されては修行も手につきませぬ。恩を返さねば」
夏侯淵「そろそろ、戦の準備をしておいたほうがいいな」
徐晃  「!。待っておりましたぞ。して、どこを?」
夏侯淵「李カクの勢力はまだ大きいし、現在の状況で長安を攻めると、取れ
ないばかりか、荊州の劉表に後ろを取られかねぬ。」
徐晃 「まずは、劉表からですか」
夏侯淵「現在、曹操軍は呂布軍にやられ、折からのいなごの災害により、糧
秣にも事欠くありさまだ。荀ケ殿、郭嘉殿が調達されているようだが、やはり
すぐにというわけにはいかぬ。」
(荀ケ殿も、苦労されていような。)
夏侯淵「肥沃な地を得るため、まずは新野を攻略する。」
199年 1月そう決めた曹操軍の動きは速かった。
曹操軍古参の李典を総大将とした軍は、一気に新野を攻撃した。
もちろん、徐晃も攻撃に加わった。徐晃にとって曹操軍に入ってからの初め
ての戦であった。

曹操軍総大将:李典
参軍:劉ヨウ
武将:徐晃、許チョ、典韋

劉表軍総大将:蔡和
武将:蔡仲

徐晃は恩を返すため、猛然と蔡仲に突進した。
徐晃「我こそは徐晃!蔡仲、首を置いていけ!」
蔡仲「!。ええい、かかれかかれ!」
何人もの兵士が垣根を作ったが、徐晃の大斧が一閃されると、その垣根も一
瞬で崩れ去った。
蔡仲「な・・・。」
驚いて声も出なくなり、蛇に睨まれたかえるのごとく身動きが取れなくなった
蔡仲は、徐晃が横を駆け抜けるのと同時に、腹部を打たれ、馬から落ちてい
た。
徐晃「敵将、蔡仲生け捕ったりー!」
兵士「うぉおおお!」
徐晃は蔡仲を生け捕った。

その後、徐晃・許チョ・典韋に囲まれた蔡和は、血路を開いて野戦場から脱
出。城を捨てて逃げ出した。

徐晃は、曹操軍に参加して初の戦いを、見事勝利で飾ったのである
なお、蔡仲は7月に李典によって放たれた。曹操軍の強さと余裕を戦う前に
見せつけるためである。
199年 2月新しい地を得れば、せねばならぬことが多い。新野の太守となった李典の指
示のもと、城内部の調査、人身掌握、兵の編成が行われた。
今回の戦は、ほとんど被害が無かったため、軍事面での作業は1ヶ月程でめ
どが出来た。

また、城の倉庫には、食糧が大量に蓄えられていた。後数ヶ月もすれば、大
量の兵士が集められていたに違いない。荊州を守る前線基地、中央進出の
ための拠点となるからである。
199年 6月劉表軍の残した大量の食糧も、各地の曹操軍に分配したところ、残りは新野
の守備がなんとかできるくらいにまで減ってしまった。
そこで、李典は徐晃に相談し、すぐには劉表軍を攻撃せず、7月の収穫で食
糧が確保できてからにすることにした。

典韋・許チョの開発の能率は悪かったが、徐晃や李典の巡察の結果、ある
程度の収穫は確保できそうだった。

そして、徐晃はその仕事の合間を見つけては、ひたすら修行に励んだ。
199年 7月刈入れを終え、十分な糧秣を確保した曹操軍は、満を持して劉表軍本城「襄
陽城」に攻撃をかけた。

そして、その総大将は徐晃だった。

(続く)



漢字は「三国志キャンペーン」さんの「IME登録用テキストファイル 」を
使用させて頂いております。

<GIFアニメについて>
ここで使われておりますGIFアニメはATNETさんの素材です

  
TOPへ   戻る

Copyright (C) 歴史大好き人間の館(kotaro-) 2005. All rights reserved