<第三部、兵法書> |
197年 5月 | 曹操配下になってから、仕事と修行に励みつつも同僚とのつながりを大切に した。いざというとき、自分一人では何も出来ぬからである。
陳留から宛へ移動する。 曹操の膝元から飛ばされたように見えないこともないが、実はここは李カク、 そして荊州の劉表に対する備えとして重要な場所であるのだ。 |
197年 7月 | 公孫度の勢力、大陸から姿を消す。
徐晃は、6月・7月かけて宛を巡察していた。民との交わりを深めることもある が、戦争になった際に重要な場所を自分の目で見ておきたかったからである |
197年 8月 | 曹操より裨将軍・四品官に任命される。
徐晃「活躍もせぬのに、恐縮でござります」 使者「何を言われる。貴公が宛の民の信望を得ており任務の効率がいいこと を太守も誉めておりましたぞ。」 徐晃「とは申しますとも・・・」 使者「・・・では、こう考えてはいかがでござろう?この場所は他国に接してお り、洛陽や許昌を守るのに重要な場所でござる。」 (徐晃は相槌を打つ) 使者「敵も大軍で襲ってくるでしょう。そうなれば、やはり兵を多く持たねば戦 おうにも戦えますまい。そのためであると・・・。」 徐晃「なるほど・・・。では、ありがたく頂戴致しまして、より励みまする。」 そして、徐晃は、来る日も来る日も軍事調練と、自らの武力を鍛えた。 |
197年 9月 | より実戦を想定した軍事調練に励んだ。 |
197年10月 | 9月10月と調練に励んだ結果、兵士の練度はみるみる上昇し、いつ戦に出て も問題無いくらいとなった。 |
197年12月 | 張燕の勢力、大陸から姿を消す
そんなある日、荀ケが訪問してきた。 荀ケ「徐晃殿、これを読まれたことはありますか?」 徐晃は荀ケに渡された書の名を見た。 徐晃「これは、呉子の兵法書(※)ではありますまいか。」 (※エディットアイテムである。知力+5、鬼謀の特殊能力が得られる) 荀ケ「そうです。」 徐晃「これは珍しい。読んでも構いませぬか?」 荀ケ「もちろんです。これは、殿が徐晃殿に贈られたものです。」 徐晃「殿が?わたしに?」 荀ケ「はい。・・・以前と違い、徐晃殿は最近武力の鍛錬にのみ力をいれてお いでです。しかし、ご存知の通り、戦は何がおきるかわかりません。特に兵を 乱されるようなことは避けねばなりませぬし、急ぎ行動せねばならぬときに、 動けなくなるわけにはいきませぬ。」 徐晃「まこと、その通りにございますな。では、これを読み、さらに知力の鍛錬 にも励みます。殿にそのようにお伝えください。」 荀ケ「(にっこりとして)わかりました。」 徐晃「ところで、今夜は泊まっていかれませぬか。ご教授願いたいこともあり ますし、近況を語り明かしましょうぞ。」 |
198年 1月 | 新年の年賀拝礼の儀式が、各地の城で行われた。 徐晃も儀式に出て、自宅に戻ろうとしたとき、道に高札が建てられ、ちょっとし た人だかりが出来ていた。 民 「何と書いてあるんだ?だ・・誰かわかるか?」 民 「わからねぇ。誰か読めるやつはいねぇのか?」 徐晃「わしが読んでやろう。」 民 「あ・・・あなたは徐晃様。」 人材を求めていると書かれていた高札であった。腕に自信のあるもの、頭脳 に自身のあるもの、とにかく一芸に秀でているものは取り立てようというもの であった。 徐晃がそれを丁寧に民に教えたところ、民からいたく感謝されたようであっ た。 |
198年 5月 | 徐晃はこの4ヶ月、曹操や皆の期待に答えるためにひたすら、武力と知力の 修行に明け暮れた。 |
198年 6月 | 濮陽を本拠地とする呂布軍がギョウに攻め込んだ。 ギョウは呂布の手に陥落した。袁紹軍の太守は、呂布に首を刎ねられたよう である。 これで、曹操軍の本拠地である陳留は、二方向からの攻撃を受けることにな ってしまった。 |
198年 8月 | 呂布軍に不穏な動きがあるようである。どうやら、いや、やはりと言うべきか、 汝南などに展開している我が軍の隙をついて、陳留を攻撃しようとしているよ うである。 徐晃は修行に明け暮れていたが、やもたてもたまらず曹操に手紙を出した。 |
198年 9月 | 曹操、陳留を呂布軍に占領される。 この報は、この月になってすぐに届いた。
呂布軍の電工石火の攻撃の前に、陳留の諸城は次々と陥落し、曹操様も城 から出たところを内通者(城内の商人らしい)に締め出されてしまったのだ。 その混乱の中に、呂布軍の、いや呂布の猛攻が来たのだ。あっという間に万 を超える兵を失って、曹操様もあわやというところを、荀ケ殿の計略のおかげ で、なんとか許昌に辿り着くことが出来たようだ。 |
198年10月 | 晋陽を本拠とする張楊、呂布によって処刑される。 張燕、張楊の跡を継ぐ
呂布は以前占領したギョウの地から、晋陽を攻撃した。洛陽は広く、一朝一 夕では落ちないと判断したからであろう。 |
198年11月 | 王朗の勢力、大陸から姿を消す
功績が認められ、三品官に任命される 宛の太守に夏侯淵が派遣されてきた。 |
198年12月 | 孔融の勢力、大陸から姿を消す 袁紹も着々と勢力を広げているようだ。この袁紹と呂布が手を組めば、厄介 なことになってしまう。
曹操より威東将軍に任命される
徐晃 「太守、ここまで厚遇されては修行も手につきませぬ。恩を返さねば」 夏侯淵「そろそろ、戦の準備をしておいたほうがいいな」 徐晃 「!。待っておりましたぞ。して、どこを?」 夏侯淵「李カクの勢力はまだ大きいし、現在の状況で長安を攻めると、取れ ないばかりか、荊州の劉表に後ろを取られかねぬ。」 徐晃 「まずは、劉表からですか」 夏侯淵「現在、曹操軍は呂布軍にやられ、折からのいなごの災害により、糧 秣にも事欠くありさまだ。荀ケ殿、郭嘉殿が調達されているようだが、やはり すぐにというわけにはいかぬ。」 (荀ケ殿も、苦労されていような。) 夏侯淵「肥沃な地を得るため、まずは新野を攻略する。」 |
199年 1月 | そう決めた曹操軍の動きは速かった。 曹操軍古参の李典を総大将とした軍は、一気に新野を攻撃した。 もちろん、徐晃も攻撃に加わった。徐晃にとって曹操軍に入ってからの初め ての戦であった。
曹操軍総大将:李典 参軍:劉ヨウ 武将:徐晃、許チョ、典韋
劉表軍総大将:蔡和 武将:蔡仲
徐晃は恩を返すため、猛然と蔡仲に突進した。 徐晃「我こそは徐晃!蔡仲、首を置いていけ!」 蔡仲「!。ええい、かかれかかれ!」 何人もの兵士が垣根を作ったが、徐晃の大斧が一閃されると、その垣根も一 瞬で崩れ去った。 蔡仲「な・・・。」 驚いて声も出なくなり、蛇に睨まれたかえるのごとく身動きが取れなくなった 蔡仲は、徐晃が横を駆け抜けるのと同時に、腹部を打たれ、馬から落ちてい た。 徐晃「敵将、蔡仲生け捕ったりー!」 兵士「うぉおおお!」 徐晃は蔡仲を生け捕った。
その後、徐晃・許チョ・典韋に囲まれた蔡和は、血路を開いて野戦場から脱 出。城を捨てて逃げ出した。
徐晃は、曹操軍に参加して初の戦いを、見事勝利で飾ったのである なお、蔡仲は7月に李典によって放たれた。曹操軍の強さと余裕を戦う前に 見せつけるためである。 |
199年 2月 | 新しい地を得れば、せねばならぬことが多い。新野の太守となった李典の指 示のもと、城内部の調査、人身掌握、兵の編成が行われた。 今回の戦は、ほとんど被害が無かったため、軍事面での作業は1ヶ月程でめ どが出来た。
また、城の倉庫には、食糧が大量に蓄えられていた。後数ヶ月もすれば、大 量の兵士が集められていたに違いない。荊州を守る前線基地、中央進出の ための拠点となるからである。 |
199年 6月 | 劉表軍の残した大量の食糧も、各地の曹操軍に分配したところ、残りは新野 の守備がなんとかできるくらいにまで減ってしまった。 そこで、李典は徐晃に相談し、すぐには劉表軍を攻撃せず、7月の収穫で食 糧が確保できてからにすることにした。
典韋・許チョの開発の能率は悪かったが、徐晃や李典の巡察の結果、ある 程度の収穫は確保できそうだった。
そして、徐晃はその仕事の合間を見つけては、ひたすら修行に励んだ。 |
199年 7月 | 刈入れを終え、十分な糧秣を確保した曹操軍は、満を持して劉表軍本城「襄 陽城」に攻撃をかけた。
そして、その総大将は徐晃だった。
(続く) |